第80回記念演奏会まであと10日!

December 10, 2018

こんにちは!!寒くなってまいりました!!前回の投稿は梅雨が明けたばっかりだったみたいですが…だいぶ間があいてしまい申し訳ありません(ToT)

 

最初に直近の演奏会のお知らせです!!

【第80回記念演奏会】

《日時》2018年12月20日(木)開場 18:00/開演 19:00
《会場》ミューザ川崎シンフォニーホール
《曲目》G. マーラー: 交響曲第5番 
            A. ドヴォルザーク: 交響詩「真昼の魔女」
《指揮》佐藤寿一(当団常任指揮者)

《チケット》1000円(全席自由)

※チケットの引換・当日券販売の開始は17:00~会場の入り口にて行います。

 

チケットぴあにてチケットを販売しております!ぜひご利用ください♪
【Pコード】 128-009
【URL】https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=1841823

 

 

さて、今回は、12/20に控えている第80回記念演奏会にちなんで、当団に多数いるマーラー好きの内の1人であるヴァイオリンパートの佐々木達彦が、G.マーラー交響曲第5番について綴った文を掲載いたします。

(本来はプログラムに掲載する予定でしたが、長くなってしまったのでここに掲載いたします笑)

主観がかなり入った熱意のこもった文章となっていますが、もしよろしければ読んでいただけると嬉しく思います。

 

・-----------・

 

Deine Zauber binden wieder, Was die Mode streng geteilt

汝が魔力は再び結びあわせる 時流が強く切り離したものを(L.V.ベートーヴェン 交響曲第9番 第4楽章より)

 

-まえがき-

突然ですが、みなさんに質問です。

あなたは何のために生きていますか?

人間という生き物もまた、皆等しくやがては死すべき存在です。今この瞬間でさえ私たちは絶えず酸化を繰り返し、まさしく死に向かって"行進"しています。

それならば私たちは一体何のために生きているのでしょう?

 

グスタフ・マーラーが駆け抜けた19世紀という時代は、非常に激動の時代でした。すなわち、かつて長い間ヨーロッパの社会や人々の価値観を一元的に規定していた絶対王政とキリスト教会権力が凋落し、絶対的な権威の側から”与えられていた”あらゆる価値観が相対化され、人々は自らの意志で意味や価値を見つけることができる 否、探さねばならない自由な社会へと投げ出されることとなったのです。

その一方で、神の存在を前提としない自由な思想や文化が次々と生まれることとなります。例えば哲学者のフリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)は ”―近代最大の出来事―つまり「神は死んだ」” と宣言し、”―最高の諸価値が無価値になるということ。目標が欠けている。「なにゆえか」という問いヘの答えが欠けているのである” とニヒリズムの到来を予言します。また精神医学者のジークムント・フロイト(1856-1939)は ”リビドー” や ”超自我” に着目して人間の深層心理を暴いた精神分析学を発表し、生物学者のチャールズ・ダーウィン(1809-1882)は種の起原にていわゆる”進化論”を提唱し、キリスト教的世界観つまり創世記を否定します。

このようにわずか100年足らずの間に人々がそれまで信じていた価値観が根底から覆されることになったのです。

それだけではありません。貨幣経済が浸透し、科学技術が発展すると工業化が進み資本主義社会が形成されていきます。そこでは高度な分業化が進み、地縁的血縁的な紐帯といった伝統的な共同体が解体され、個人の自由や権利を重んずる個人主義が思想的にも制度的にも広がりを見せます。

つまり近代という時代は、あらゆるものに境界線を引き、差異を強調し次々と分化させていく時代であったと言えます。国家は国境線を引き、国語を制定し、国民性なるものを作り出します。マーラーの出自に関して ”私は三重の意味で故郷がない人間だ。オーストリア人の中ではボヘミア人、ドイツ人の中ではオーストリア人、そして全世界の国民の中ではユダヤ人として" という言葉は有名ですが、これこそまさに近代という時代の疎外感が表されています。 また、今となっては自明な価値観ではありますが、私たちも ”わたし” と ”あなた” との間にも明確な境界線を引きます。かつて人々を一つにまとめようとしていた大きな物語は失われていき、私たちはバラバラになった世界に生きることとなったのです。

さて、音楽のあり方も時代の変化とともに変容していきます。かつては神を讃えるもの、宮廷貴族に仕えて作曲するものであった音楽は、ベートーヴェンの時代になると広く大衆にも開かれていきます。

また、交響曲というジャンルも単なる ”器楽のための合奏曲” であったものが、次第に個人の思想や感情を表現するメディアという性格を帯びてきます。その転換点となったのはまさしくベートーヴェンの ”交響曲第5番 ハ短調” であり、冒頭の”運命の主題”が緻密に展開されていく作曲技法や ”暗から明へ” という図式は、マーラーも含め多くの後世の作曲家に影響を残していきました。

そんな中グスタフ・マーラーは1860年7月7日、オーストリア帝国領内のボヘミア(現在のチェコ共和国)イーグラウ近郊のカリシュト村に生まれます。マーラーは14人兄弟のうち第2子として生まれますが、長男は幼くして夭折。他の6人の兄弟も成人になる前に亡くなります。衛生状態も悪く、医療も充分に発達してない当時としては一般的なことではありますが、特に9ヶ月年下であった盲目の弟エルンストの死はマーラーにも深い影響を与えたと言います。 作曲家であるとともに指揮者であったマーラーはユダヤ人と言う出自から激しい差別や嫌がらせを受け、各地の劇場を転々としていましたが、1897年にはウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)の音楽監督という世界トップクラスのポストを手に入れます。

マーラーの作曲のスタイルとしては指揮者として年間数百回にわたる演奏会をこなす傍ら、夏休みに別荘地に小さな作曲小屋を建てそこで作曲活動を行うというスタイルを貫いていました。1895年の第2交響曲初演の成功や1898年にはウィーンフィルハーモニー管弦楽団の指揮者に選任されるなど、順風満帆に見えたマーラーでしたが、1901年に持病の痔から大出血をおこし、出血性ショックで生死をさまよいます。ウィーンでの様々な人間関係や偏見に辟易していたマーラーは ”健康上の理由” でウィーンフィルの職を辞任します。

そんな大波乱だった同年の11月、マーラーの人生を大きく変える転機が訪れます。ウィーン随一の才女と呼ばれていたアルマ・シントラーとの出会いです。当時マーラーは41歳、アルマは22歳と大きく歳の離れていた二人でしたが、1ヶ月後の12月には秘密裏に婚約を、翌1902年3月に結婚式を挙げます。アルマとの出会いは彼女の知人であった画家のグスタフ・クリムト、作曲家のアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーなど時を同じくして世紀末ウィーンで活躍した芸術家との交友関係を広げ、新たな価値観に触れることとなりました。

 

今回演奏する ”交響曲第5番 嬰ハ短調” は1901年の夏から1902年の秋ごろにかけてという激動の時期に書かれた作品です。人生の絶頂期、死との対峙、そして運命の出会い。そこからマーラーはどのような結論を出すのでしょうか。

 

 

-作品解説-

 

第1交響曲では青春の苦悩とその勝利を、第2交響曲では英雄の死とキリスト教的世界観におけるその復活、第3交響曲では自然の生命力と神の愛(とその中での様々な迷い)について、第4交響曲は第3交響曲の続編として天上の生活を描くなど、前期の作品では理想主義的なユートピア世界を描いてきたマーラーであったが、第5交響曲では現実主義かつ内面的な精神世界へと立ち返る。

第5交響曲はマーラーが20世紀に入ってから初めて書いた作品であり、中期の作品群の幕開けとなるマーラー自身にとっても転換期となった作品でもある。また第1交響曲から第4交響曲までは声楽を用いたり自身の歌曲をベースにして作られていたが、このような性質を持たない純器楽曲であるということも特筆できる。 第1楽章と第2楽章を第1部、第3楽章を単独で第2部、第4楽章と第5楽章を第3部とする5楽章3部形式となっており、長大なスケルツォを中心にして対称に楽章が配置され、それぞれの部の中において相互に主題が関連するようになっている。

 

第1部第1楽章 Trauermarsch In gemessenem schritt. Streng. Wie ein Konduct.

(葬送行進曲 正確な歩みで、厳格に、葬送の列のように)

独奏トランペットによる葬送を告げるファンファーレが深い沈黙を破る。マーラーの交響曲第4番第1楽章にも顔を覗かせたどこかで聞いたことのある8分音符3連符と2分音符の主題音型は、次第に大きくなるとオーケストラ全体へ引き継がれていきフォルテッシモで奏される。すると第1バイオリンとチェロにより悲哀に満ちた表情の旋律が奏でられる。再び金管の堂々たるファンファーレが鳴り響くと先のバイオリンとチェロのメロディーに木管楽器も合わさり、重々しく展開される。やがて沈黙に帰るとトランペットのファンファーレに導かれ、激しく感情が大爆発を起こしたかのような変ロ短調の第1トリオに突入する。

Plötzlich schneller. Leidenschaftlich. Wild. (急激に速めて、激情的に、荒れ狂って)と指示されたトリオは、はじめトランペットが高らかと主題を歌い上げ、第1バイオリンがそれに合わさり激しい内面世界の葛藤を描く。6本のホルンによる咆哮ののちPesanteになり一度落ち着きをみせるも、すぐにa tempoとなり再び激情の動きを見せる。そしてバイオリンが弱音でmolto espressivoと書かれたやわらかな主題を呈すると、徐々に切迫とした表情を見せ激しいクライマックスを築く。ところがAllmählich sich beruhigend. (しだいに静まる)と指示されると静かに消え去ってゆき、再び嬰ハ短調に転じ主部の再現に入る。

木管楽器が悲哀に満ちた主題を再現すると、金管楽器打楽器がこれに伴って重い足取りを刻む。すると独奏ビオラとトランペットが自身の歌曲 ”亡き子をしのぶ歌” より ”いま太陽は晴れやかにのぼる” に基づく旋律を奏でる。その後も何かを訴えかけるような悲痛な面持ちの旋律が弦楽器に続く。今度はティンパニがかすかにファンファーレの動機を用いるとイ短調の第2トリオへと移る。

第2トリオでは先ほどの第1トリオの荒々しいトランペットの主題がバイオリンによって哀愁を帯びた旋律に変えられる。そこにホルン、トロンボーンによる感情的な上昇音型が次々とあわさり、さらなる昂りを見せるがそれもKlagend (嘆き)と表されるように急激に崩壊していく。コーダではまたもやトランペットのファンファーレが顔を出すが、今度は消音器付きのトランペットそして最弱音のフルートに受け継がれ、どこか遠くへ消えてゆく。最後は低弦の激しいピチカートによって楽章は閉じられる。

 

第2楽章 Stürmisch bewegt. Mit grösster Vehemenz.

(嵐のように激しく。最大の激烈さを持って)

葬送行進曲の後には嵐が来る。はじめ低弦とファゴットによる怒りに満ちた闘争的な動機がアウフタクト(弱起)ではじまると、激しい和音がこれに重なりあう。木管が割れんばかりの叫び声を上げるとバイオリンが激情的な主題を文字通り最強音で奏でる。力強く鋭い主題が続くとこれにホルン、トランペットもあわさり盛り上がりを見せるが、木管楽器の不吉な半音階的な下降音型によって消え去り主部を終える。

葬送行進曲のゆっくりとしたテンポに戻ったへ短調の副次部では、ティンパニと木管楽器の作る神妙な空気に導かれチェロが先の第1楽章第2トリオの旋律を歌いはじめる。次第にビオラ、バイオリンも加わってゆくも、突然冒頭のテンポに戻り再び闘争的な動機がはじまり展開部に入る。しばらく闘争が続くがまたしても木管楽器の下降音型により消え去ってしまう。

かすかなティンパニのトリルの中から浮かび上がるようにチェロが物憂げな単旋律を嘆くように奏でる。長く印象的なシーンを抜けると副次部が展開的に再現される。ホルンが第1楽章に表れた主題を変奏し、独奏バイオリンとフルートがこれに重なる。続いてバイオリンが第1楽章の上昇主題を呈すると、徐々に高まりながら歌い続ける。主部の動機が挿入されると音楽は次第に光の方向へと進みはじめる。するとロ長調のゆったりとした葬送行進曲の主題へと回帰し、木管がこれにあわさる。やがて変イ長調の行進曲風の曲想になり、力強く勇壮な歩みを刻むと、来るべきコラールの予兆を木管楽器が見せる。しかしこれもすぐにかき消されてしまい、再現部に入り冒頭の激しい闘争が再現される。バイオリンが激情的な旋律をうねるように奏でてゆくと、突然天光が差すかのようにトランペットが鳴り響き、ニ長調のコラールに到達する。長い困難の果てにやっと輝かしい勝利を手にしたと思うも束の間、ビオラがそれを妨げ楽園の幻影は無惨にも崩壊していく。

ニ短調のコーダに入り、たたみかけるように破滅的なクライマックスを迎える。テンポがゆるみ薄霧のような弦楽器のフラジオレットの上に、何かを思い出すかのように独奏のバイオリン、ビオラが訴えかけ、低弦のピチカートが続き最後はティンパニの一打だけが虚しく残る。

 

第2部第3楽章 Scherzo Kräftig, nicht zu schnell

(スケルツォ 力強く、速すぎずに)

“これは真昼の光の中、人生の絶頂にいる人間だ”

(ナターリエ・バウアー=レヒナーとの会話の中で)

 

マーラーは交響曲第5番の作曲あたってこの第3楽章をはじめに書いたという。全楽章の中でも際立った存在感を持つこの長大なスケルツォは、様々な楽想や主題が絶えずせわしなく自由に展開されていき、マーラーの創作意欲の高さが垣間見える。またこの楽章では1番ホルン奏者はオブリガードホルンとして指定され、重要な役割を担う。

新しい幕開けを告げるかのように、4本のホルンが一斉に主題を掲げる。それにオブリガードホルンが呼応し、木管楽器が続き楽しげなワルツがはじまる。すると第1バイオリンが勢いよくこれに加わり主題を奏でる。ビオラが8分音符の歯切れのよい主題を入れると、鎌首を掲げるようにベルアップしたクラリネットが新たな動機を輪唱し再びバイオリンが表情豊かに踊り続ける。低弦が冒頭の主題を伴奏しつつ、これにオブリガードホルン、木管楽器さらにはグロッケンシュピール(鉄琴)も加わってゆき、いっそう楽しげな音楽となる。

8分音符の歯切れの良い主題が挟まり、クラリネットの動機が今度はトランペットになされると、バイオリンは飽きることなくより一層激しく踊り続け、むしろどこか ”から元気” ともいうべき様相をみせる。踊りの主題が終わると木管楽器が力強い新たな主題を見せる。それと同時にバイオリンがたちかわり激しく上下する音階を入れると、その中からトランペット、ホルンが割って入り、落ち着きを見せる。

Etwas ruhiger (いくぶん落ち着いて)と指示された変ロ長調の第1トリオは、いままでの楽しげなウインナ・ワルツ風の響きとは打って変わってどこかボヘミアの故郷を思い出させるかのような、のどかなレントラー(舞曲)風の雰囲気となる。バイオリンはさも優美に歌い続け、木管楽器もこれにあわさるも、トランペットが冒頭の主題を思い出すと、ニ長調に転じ主部が手短に再現される。再び8分音符の歯切れの良い主題が表れ激しく展開されてゆくと、第2トリオに入りトランペットが特徴ある動機を出す。この動機が木管楽器ついでバイオリンへと広がり終止される。テンポが落ち着くと木管楽器の揺れ動く8分音符の音型の中からホルンの特徴的な主題が浮かび上がる。

8分音符の音型がバイオリンに移るとWieder Allmählich belebend. (ふたたびしだいに活気をおびて)となり、テンポも速められて険しい表情となってゆく。弦楽器の激しい和音が轟きホルンが次々と咆哮を上げると、オブリガードホルンが答え木管楽器、低弦を伴って物寂しげな主題を奏でる。

すると暗い内面世界へ入り込んだかのように雰囲気は一変し、弦楽器のピチカートだけで奏される静かな場面へと移る。ファゴット、オーボエがこれに短い楽句を返し、クラリネット、ファゴットが続くとバイオリンがゆるやかに流れるような上昇音型を歌い出す。それに沿って様々な楽器が主題を断片的に受け継いでいく。クラリネット、バイオリンが揺れ動く8分音符を出すと、その上にオブリガードホルン、トランペットが主題を受け継ぐ。フルートが高音域でこれを歌うとトロンボーンも現れ、次第に音楽が落ち着いていくとオブリガードホルンによって第2トリオを閉じられる。

展開部では暗く沈んだ弦楽器のピチカートの中から、バイオリンにより第1トリオのレントラー主題が浮かび上がる。これが次第に活気付いていくと徐々に激烈さを増していき、ホルツクラッパー(拍子木)が骨の鳴るような音を出し”死の舞踏”ともいうべきこの楽章のもう一つの側面を覗かせる。激しい混迷の形相に陥ると再びホルンが冒頭の主題を高らかに掲げ再現部に入る。

はじめ主部の楽しい踊りがもう一度はじまると、さっきとは少し違った表情で展開されてゆく。再び弦楽器が激しい上昇下降音階を入れると、今度はそのままより一層上りつめていき、溢れんばかりの喜びを持って第1トリオが再現される。8分音符の歯切れの良い主題が表れ第2トリオの再現に入るとトランペットが第2トリオの主題を出し、ホルン、トロンボーンが受け継いでゆく。弦楽器の鋭い8分音符が激烈に合わさるとトランペットが再度特徴ある動機を出し、フルート、バイオリンがこれを強奏する。そのままクラリネット、バイオリンが揺れ動く8分音符を表すとトランペット、トロンボーンによって主題が重奏される。

突然Kräftig (力強い)主題がバイオリンに表れ、ここでは第1トリオと主部の主題があわさり発展的に展開される。これがどんどん急き込んでいき最強奏の盛り上がりを見せると、フルート、バイオリンの急激な半音階的下降に遮られ終止される。するとホルンがレントラー風の動機を出し、これに続きバイオリンがのどかな旋律を奏でる。これがだんだんクレッシェンドし、せわしなく上昇していくとクライマックスを築く。オブリガードホルンが間に入りつつ弦楽器の激しい下降が続くと、音楽は次第に落ち着きをみせる。

弦楽器によるピチカートのエピソードが手短に入ったかと思うと、コーダに突入し大太鼓が細かいリズムを刻み、それに合わさり弦楽器が最弱音のスタッカートで新たな主題を刻む。すると突然ティンパニとトランペットの強打とともに一気にテンポが速まり荒々しく主題が展開される。金管楽器が激しく鳴り響き、果ては全楽器により爆発的なエネルギーが表出されるとホルンが最後の雄叫びを上げ、強烈な8分音符の響きによりこの楽章は終わる。

 

第3部第4楽章 Adagietto Sehr langsam.

(アダージェット とてもゆっくりと)

“このアダージェットはアルマに対してのグスタフ・マーラーの愛の宣言である! 手紙の代わりに、彼は、他には何の説明もなくこの手書きの楽譜を彼女に送った。彼女は理解して、あなたがやってくるのは運命です!という返事を書いたのである。二人のどちらも私にこのことを話してくれたのだ!”

(マーラーと親交の深かった指揮者ウィレム・メンゲルベルクのメモ書きより)

 

弦楽器とハープのみで演奏される静謐な楽章であり、管楽器が華々しく活躍する各楽章に対照して一つの休止点のようにもなっている。また終曲への序奏との役割を持つ。今日のマーラーブームの立役者として名高いこの楽章だが、以上の引用のような解釈もあれば、こういった文脈からは離して純粋な音楽として受け取る解釈もあり、未だに賛否が別れる楽章でもある。今までの楽章の複雑な構成から打って変わって単純な3部構成となり、小節数もわずか100小節あまりと規模は小さいが、対位法は極めて入念に書き込まれ、一種の”無言歌”として情緒を持って演奏される。

 

神秘的なハープの響きとビオラ、チェロのかすかな和音の中から浮かび上がるようにして第1バイオリンがどこか何かに憧れるような主題を奏でる。そこにチェロが答えるようにして情緒を持って旋律を歌う。第2バイオリンとビオラがこれを引き継ぐと、第1バイオリンが先ほどの主題の続きを歌いはじめる。これが少しずつこみあがってゆき、高潮していくと次第に弱まり第2バイオリンに受け継がれてゆく。

突然Fließender (流れるように)となると第1バイオリンが力強い旋律を歌いはじめる。変ト長調に転じ中間部に入るとハープの響きは消え、第1バイオリンがどこか不安げな旋律を奏でる。するとワーグナーの楽劇”トリスタンとイゾルデ”の”眼差しの動機”との関連が指摘される抒情的な旋律が波のように繰り返され高まりをみせるが、やがてフラジオレットの儚い音からグリッサンドで下降していき失われてしまう。

ヘ長調の終結部となりハープが響きを取り戻すと、第2バイオリンが冒頭の主題を拡大して呈示する。これに続き第1バイオリンがゆっくりと主題を続けると再び昂りを増し、最後は激しい下降をもって消え入るように終わってゆく。

 

第5楽章 Rondo-Finale Allegro giocoso. Frisch

(ロンド・フィナーレ アレグロジョコーソ 新鮮に)

それは、まるで長い長い夜が明けるかのようにホルンがイ音(A)を告げる。バイオリンがこれに最弱音で答えると、アレグロとなり快活な響きとなる。するとファゴットが自身の歌曲”子供の不思議な角笛”より”高邁なる知性への讃美”から引用した旋律を呈し、オーボエがこれに応じる。

(“高邁なる知性への讃美”は愚者の象徴たるロバの審査員がウグイスとカッコウの歌比べを聞くというもので、技巧的なウグイスの歌よりも陳腐なカッコウの”コラール”に軍配を上げることから、この楽章の最後に表れる”コラール”についても実は”陳腐で古くさいもの”として半ばパロディとしているという解釈もある)

ホルン、クラリネットが続き、さわやかな序奏を終えると、呈示部に入りAllegro giocosoとなりホルンがロンド主題を奏ではじめる。これに木管楽器、コントラバス、チェロと加わっていき次第ににぎやかとなってゆく。低弦がマルカートの軽快な音型を出すと、木管楽器に広がっていきティンパニの強打に導かれチェロの8分音符のせわしない主題がはじまり、第1フーガとなる。これが第2バイオリン、ビオラへと引き継がれていくが、その対位旋律も低弦にはじまり第1バイオリンへとわたる。フルート、第1バイオリンが新たな旋律を出すと楽しげに上昇していく。再び8分音符の主題がビオラにはじまると、今度は木管楽器に受け継がれ、ホルンの主題も顔を出す。

Grazioso (優雅に)となるとバイオリンが軽快なリズムを刻み、楽しげな木管の重奏がこれに合わさる。クラリネットが序奏での動機を表すとオーボエ、フルートそして独奏弦楽器のアンサンブルに受け継がれる。するとトランペットのやわらかな音色に誘われて弦楽器がゆるやかにロンド主題の再現をはじめる。これに木管楽器、ホルンも加わっていき至上の喜びのような表情を見せる。オーボエ、クラリネットが少しおどけた軽快な主題を出すと、弦楽器、トランペットも加わりこの部分を終わる。

再び低弦がせわしない8分音符の主題を出すとそのまま第2フーガに突入する。ホルンの新しい主題が響き渡ると、これはバイオリン、ビオラ、木管へとつながっていく。流れるような8分音符がビオラ、チェロに見えると、Graziosoとなり第1バイオリンによって第4楽章中間部の旋律が副次部として表れ、先ほどとは違った性格をもって敷衍されていく。バイオリンの美しい和音が鳴り響くと展開部に入り、ビオラに軽快な動機が表れ、ホルン、オーボエがこれに続く。すると流れるような8分音符がビオラ、チェロ次いで第1バイオリンに表れ、その上にオーボエ、クラリネットが主題を表しフルートに受け継がれる。引き続きビオラ、チェロの8分音符の主題から、第3フーガがはじまる。

バイオリン、ホルンに力強い主題が続くと、ティンパニの連打の中からトランペットが鳴り響き、続くトロンボーンにバイオリンが合わさり盛り上がりをみせる。そのままハ長調の経過部に入り第1バイオリンが激しい主題を表す。これにトランペット、ホルンが混じると木管群が再び楽しげな重奏を表し、弦楽器が軽快なリズムで答える。すると8分音符の歯切れの良い音型が弦楽器群で受け継がれていき、駆け上がるように勢いを増していく。ロ長調に移り低弦が8分音符のせわしない主題をはじめると、バイオリンが杭を打ち込むように鋭い合いの手を入れる。

低弦の主題は第2バイオリン、第1バイオリンへと輪をかけるように続いてゆき、その中をかいくぐるかのようにホルンが駆け抜ける。ニ長調になり、金管楽器が鳴り響きさらなる高まりをみせると再び副次部に入りGraziosoの旋律が表れる。木管楽器、ホルンがこれに合わさると、フルートの和音によって閉じられる。

続く第4フーガではビオラにより力強い主題が出される。木管楽器、ホルンへとつながり、これが金管楽器に移るとバイオリンは一気にクライマックスに向かってゆく。すると突然最初のゆったりとしたテンポに戻り再現部となり、ロンド主題が弦楽器によりいくぶん違った形で、しかし情熱的に歌われる。木管楽器も合わさりトランペットがこれを祝福するようなやわらかな旋律を出すと、再度低弦が8分音符の主題をはじめ第5フーガに入る。

トロンボーンが軽快な動機を出し、バイオリンが合いの手を入れるとホルンが力強い主題をはじめる。8分音符のフーガがチェロ、第2バイオリン、第1バイオリンへとつながると、ホルン、トランペット、トロンボーンと金管群が響き渡り音楽はより一層高まりをみせる。これが一旦落ち着くと冒頭のロンド主題が表れ主部の再現となる。木管楽器とハープの和音が鳴り響くと音楽は前に向かってゆるやかに進みはじめる。

再びGraziosoの副次部が再現されると、今度は確信を持ってクライマックスへと突き進んでいく。すると第2楽章で否定されたはずのコラールが再び表れ、高らかに勝利を宣言する。長い道程を経て、やっと約束の場所に辿り着くことができた、そんな喜びをかみしめるように金管楽器のコラールが鳴り響く。第1楽章で現れた死の恐怖も、第2楽章で振り上げた拳も、今は全て忘れてしまおう。溢れんばかりの喜びと生の全肯定のもと、音楽はただ前へ前へと進み続け、大団円の中この曲は閉じられる。

 

 

-あとがき-

 

新しい時代の新しい交響曲を完成させたマーラーは、その後も創作意欲の衰えることなく、1911年の5月18日に息を引き取るまで激動の人生を駆け抜け、様々な作品を世に残します。一切の救済を求めない破滅の美ともいうべき悲劇を描いた ”交響曲第6番 イ短調 「悲劇的」” 、交響曲というジャンルをいわばパロディに仕立て上げた ”交響曲第7番 ホ短調 「夜の歌」” 、そして ”交響曲第8番 変ホ長調「千人の交響曲」” 。ここまでを中期の作品とし、その後も ”大地の歌” 、 ”交響曲第9番 ニ長調” そして未完の ”交響曲第10番 嬰ヘ長調” と後期3作品を残しますが、私は交響曲第8番の第2部終結部に ”神秘の合唱” の歌詞として引用された、ゲーテの戯曲「ファウスト」の最終場面の詩句にマーラーの最終的な結論が表れているのではないかと考えます。

 

Alles Vergängliche Ist nur ein Gleichnis;移ろいゆく全てのものは高貴なるものの比喩にすぎない

Das Unzulängliche, Hier wird's Ereignis;足りず及ばざるものもここでは満たされ

Das Unbeschreibliche, Hier ist's getan;名状しがたいものがここに成し遂げられた。

Das Ewig-Weibliche Zieht uns hinan.永遠的女性的なるものがわれらを高みに引き上げてゆく。

 

マーラーの死から3年後、人類は初めて一般市民を巻き込む世界大戦を経験します。そこでは理想主義的、耽美主義的ともいえるロマン主義の時代は終わりを告げ、人々は現代音楽といった新たな語法を模索します。しかしいつの時代であっても、”芸術”は人間の存在を強く信じ、私たちに強く訴えかけます。 バラバラになってしまった世界で、これからも人々は悩み苦しみ続けます。しかしながら、皮肉にもそういった時代が続く限りグスタフ・マーラーは私たちの中で生き続けるのかもしれません。

 

Le vent se lève, il faut tenter de vivre.風が立つ、生きる努力をせねばならぬ!

(ポール・ヴァレリー “海辺の墓地”より)

 

文責:佐々木達彦

・-----------・

 

いかがでしたでしょうか。

本番まであともう少しとなりました。部員の士気も高まってきました…!!!

あと少しの期間、第80回記念演奏会に向けて最後の追い上げをしております💦

12月20日の夜は、ぜひ会場のミューザ川崎へ足をお運びください!!部員一同、皆様のご来場をお待ち申し上げております✨

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